2013年11月2日土曜日

終わった!いや、これからだ!/2008.7.25

 7月27、28日にかけて小学生キャンプが大口シャロームキャンプ場で行われました。今年の参加者は小学生30名。キャンプのテーマは「聖書を読もう!」。ゲストスピーカーには東京からカリン・ザイエンガー宣教師を迎えました。
 で、キャンプは無事終わり昨日帰ってきましたが、今朝起きたら体が痛い(笑)。でも翌日に痛みが来るのはまだ若い証拠か?スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
 キャンプが終わって一安心というわけにはいきません。続けて子供たちが聖書を読むようにするのは至難の業。8月中毎週木曜日にはナタリー宣教師の家で聖書を学んだり、宿題をしたりするホープ・キッズを行います。お祈りくだされ。
 でもとりあえず今日は休もう…。あっ、日曜日のお話しの準備がまだだ…。ブログを書いている場合ではない…。

(写真は昨年のキャンプの様子)

季節が君だけを変える/2008.7.5

いくつかのブログをチェックしているが、また最近これは紹介したいなーという記事があったので。
こちらのブログの「神学モノローグ」のシリーズは読み応えがありますが、最近の記事で7月3日の「越えているもの」と6月23日の「大村晴雄先生の『近世哲学』を読む」はお勧めです。ぜひご一読を。

http://jbtministry.spaces.live.com/default.aspx

占星術が当たっているように思うワケ/2008.6.12


この動画はイギリス放送されていた人気番組「Trick of the Mind」の一部で、出演しているのは、イギリスのトリックスターの方だそうだ。彼が使っているのは超能力でもなんでもなく、超能力があるという方が良く使うテクニックである「バーナム効果」を応用したものだそう。
 はーなんだかなー、こんなんで世間の多くの人は一喜一憂しているのかと思うと…。

さらに多くの情報が知りたい方はこちらにアクセスしてみてください。
http://www.asios.org/index.html

第18話 味のある言葉/2008.6.10

 こうげん病。あー、あの高い山に登ったときにかかる病気でしょうと思った方、それは高山病。
こうげん病、漢字では膠原病と書く。「皮膚、軟骨などの結合組織の硬蛋白質の変性を本態的病変とする疾病の総称。」と辞書には書いてあるがこれだけではさっぱりわからない。病状としてはリウマチに似ていて、腎臓などにも障害が出てくるらしい。進行すれば命にも関わる病気でもある。そして傾向としては、女性に多く、男性に少ない病気と言うことだ。

 佐藤さんは30代前半、働き盛りの男性であり、先頃結婚もしたばかりだ。最近どうも体調がすぐれないので、病院で検査してもらったところ男性には珍しい膠原病であるということがわかった。すぐに入院になり治療が始まったが、膠原病に対する治療はホルモン剤の投与だけなので多少の副作用は見られるがあとは一日中暇を持て余すことになる。佐藤さんも例にもれず、暇を持て余している様子がこちらにも伝わってくる。そんなふうに感じたのは私だけではなかったらしく、隣のベットの清水さんが佐藤さんをからかいはじめた。

「よう、最近奥さんがあんまり見えないけど だんなのいない間に浮気でもしてるんじゃねぇか。」
あまり品のいいからかい方とは言えない(からかうのに品のいい悪いのあったもんじゃないか・・・)。
「かなわないなー よしてくださいよ、からかうのは・・。」
真面目な佐藤さんは、少しかすれた声で真面目に答える。
しかし、暇をつぶすのに格好の材料を見つけ出した清水さんがそう簡単に引き下がるはずはなく
「だけどよう考えてもごらんよ、まだ結婚して5年も10年も経ってるわけじゃあるまいしさー絶対に変だよ。」
「もう嫌だなぁ清水さんは・・・。」
結局そんなくだらないからかいに佐藤さんが乗るはずもなくその場は終わりになった。もちろんそんなからかいのあったことなど奥さんが知るはずもなく、相変わらず病院に来る回数は増えなかった。

 ところがそれから目に見えて佐藤さんの様子がおかしくなってきた。なんとなくそわそわしていて落ち着かない。時々やってくる奥さんともベットの片隅で何やら小声で押し問答をしている。ある日佐藤さんが自宅へ電話をかけていたとき、それが決定的になった。
「どうして今日も病院に来なかったんだ!わけを言えわけを! やっぱりお前は浮気をしてるんだな!!。」
たまっていたものを一度に爆発させるように病棟中に響き渡る大きな声で佐藤さんは叫んでいた。

 佐藤さん御夫妻の名誉のためにはっきり書いておくが、奥さんは断じて浮気などしていなかった。御主人のいない家庭を守るために必死で頑張っていたのだ。それに御主人も服用していたホルモン剤によって、精神的にも安定していなかったと言う理由もある。しかしなんと言ってもたった一度のからかいが、その引き金になったことは火を見るより明らかなことだ。

 からかうなんてことは私達の中では日常茶飯時のことかもしれない。そして誰もがこう言うのだ『そんなの本気で言ってるわけじゃないんだから・・・。』

 でもどうなんだろう、清水さんにしたってそんなこと本気で言ったわけじゃない。ところがそんな冗談半分に言った、まるで本気じゃない言葉が佐藤さんをそこまで追い込んでしまったのだ。もしかしたら私達が軽い気持ちで言っている言葉のほうが、人を傷付けていることが多いのかもしれない。『そんなの本気じゃないよ』と自分の立場をまず確保してから、相手をからかって楽しんでるなんて なんて趣味の悪いことか。でも悲しいかな、それが大好きなのが罪深い人間なのだ。私も罪深い人間として清水さんの共犯者である。そしてこれを読んでいるあなたも。

 主は私達に塩気を保ちなさいとお命じになった(マルコ9:50)。もし私達が主によって塩気を保っているならば、私達の言葉も当然塩気のある言葉のはずだ。無味乾燥と言う言葉があるが、私達が本当に主につながっていないなら全く味の無いつまらない言葉しか出てこないだろう。主にあっていつでも味のある言葉を話していたいと切に思わされる。
「あなたがたのことばが、いつも親切で塩味のきいたものであるようにしなさい。」(コロサイ4:6a)

 さてそれからの佐藤さんであるが、奥さんが誠意ある説得を続けたおかげで少しづつその心もほぐれていき、退院する頃には以前の落ち着きを取り戻していった。それにしても佐藤さんの奥さんがしっかりした人でよかった。もしこれが感情的な奥さんだったらと思うと・・・・。もしかすると一番の被害者は奥さんだったのかもしれないな。まったくからかうなんて百害あって一利なしである。5号室の入院患者一同深く反省しています、お騒がせしてすみませんでした。

2013年11月1日金曜日

ああ間違い・No.15/2008.6.3

私が以前勤めていた某キリスト教宣教師のための日本語学校で、宣教師の方たちが日本語学校や教会や日本人と話しているときに間違えて使ってしまった日本語を集めてみました。えっ? 宣教師に失礼ですって?でも、その宣教師の方たちに作るように勧められたんですけど・・・。ホームページ時代の人気コーナーがブログで復活です。
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『隣の部屋はやましいねぇ』

知らなかった。隣の人って、そんな人だったの?気をつけなくちゃねぇ。
でもね、やましいとはちょっと違うかな。「やかましい」だからね。

めぐみ/2008.5.23

ひとりでも多くの方に見てもらえたらいいと思い、紹介しました。


http://www.rachi.go.jp/jp/megumi/index.html

ああ間違い・No.14/2008.5.20

私が以前勤めていた某キリスト教宣教師のための日本語学校で、宣教師の方たちが日本語学校や教会や日本人と話しているときに間違えて使ってしまった日本語を集めてみました。えっ? 宣教師に失礼ですって?でも、その宣教師の方たちに作るように勧められたんですけど・・・。ホームページ時代の人気コーナーがブログで復活です。
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『おっぱいをください。』

ある男性宣教師の方が、レストランで、かわいいウェイトレスの人に言った言葉。
これは、ちょっと説明が要りますね。
日本語では丁寧な表現の時に、名詞の頭に「お」をつける表現があります。
たとえば、「父さん」は「お父さん」、「風呂」は「お風呂」というようにですね。もうわかりましたか?
この宣教師さん、パイが食べたかったんですね。


ああ間違い・No.13/2008.4.29

私が以前勤めていた某キリスト教宣教師のための日本語学校で、宣教師の方たちが日本語学校や教会や日本人と話しているときに間違えて使ってしまった日本語を集めてみました。えっ? 宣教師に失礼ですって?でも、その宣教師の方たちに作るように勧められたんですけど・・・。ホームページ時代の人気コーナーがブログで復活です。
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日本語教師「エデンの園で女を偽ったのは誰ですか。」
宣教師「エビです。」

えっ!そうだったのか・・・。じゃあ大好きだけどエビフライはもう食べない!

君に会えたから/2008.4.26

最近は息子と外で遊びます。自分の子供って不思議な存在です。


そして僕は途方にくれる/2008.4.7

 聖書は超古文、しかも異文化の。現代に通用するメッセージにするには、ただ翻訳するだけでなく、当時の文化、習慣、思考、言語などを考慮する必要がある。そのテキストに込められている、全時代・全文化に共通するメッセージをくみ出す、つまり現代の人へのメッセージとして変換する作業だ。

 そこで問題が起きる。聖書を解釈し、伝える人々が全て同じメッセージに変換してくれれば良いのだが、大きい点から始まり、小さい点にいたっては無数の違う解釈がある。するとそれらの解釈を聞いた者は、自分で取捨選択をしなければならなくなる。

 そうするとどうしても自分に都合の良い解釈を採用したくなる。そしてそう解釈してくれる人を味方につけ、自分の正当性の後ろ盾にしてしまう危険性が絶えずつきまとうということになる。

 しかし、それ以上に聖書のメッセージを伝える者にとっては、もしかしたら自分の理解が、誰かを聖書の言わんとしていることの理解へ導き、神の前にへりくだらせるのではなく、自分の罪を隠し、正当化するための手段として使われてしまうこともあるということだ。やはり聖書を解釈し、伝える者の責任は大きいだろう。そのメッセージによって人は生きもし、死にもするのだ。

 クリスチャンは自由な律法によって裁かれる者だ。解放されている存在。真に聖書のメッセージを受け取れるなら、その人の生き方は目的を持ち、力強く、以前の生き方には戻りたくないと感じさせるもののはずだ。

 聖書のメッセージを語らせていただいている者のはしくれとして、自分は聖書の言わんとしていることを、そのまま伝えられているだろうか?自分の話したことによって、誰かを縛り付けていないだろうか?自分の話したことによって、誰かの罪を正当化してしまうようなことはないだろうか?
 自問自答する毎日だ。