私が以前勤めていた某キリスト教宣教師のための日本語学校で、宣教師の方たちが日本語学校や教会や日本人と話しているときに間違えて使ってしまった日本語を集めてみました。えっ? 宣教師に失礼ですって?でも、その宣教師の方たちに作るように勧められたんですけど・・・。ホームページ時代の人気コーナーがブログで復活です。
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『今、家内は怒っています』
これはちょっと説明が必要ですね。
ある若い宣教師ご夫婦に赤ちゃんが産まれました。
ある日の午後いつも仲良くしている近所の奥さんが、ぜひ赤ちゃんを見せて欲しいと宣教師さんの家に来ました。
でも、その時、宣教師の奥さんも赤ちゃんも昼寝中。
じゃあ、また後でということになりました。
さて、その日の夜。
今度は宣教師のご主人の方から、その近所の奥さんの家に訪ねていって
「今、家内は起きています。どうぞいらしてください。」
と言ったつもりが・・・。
みなさん、宣教師さんの家に行くときは、なるべく昼寝しているかどうか確認してから行きましょう。
そうしないと怒られますよ。
2013年11月2日土曜日
I'm a pc/2008.11.13
私は生粋のマックユーザーである。初めて買ったパソコンはAppleのLC575であった。その後PowerPC8500、B&Wマックと変遷してきた(この辺の話はわかる人にしかわからないだろう)。
今は聖書ソフトなどの関係で仕方なくWindowsを使っているが、心はマックユーザー、Apple教の信者である(嗚呼、これは偶像礼拝か!?)。
しかし…このCMだけは紹介するしかあるまい…。今アメリカで(英語圏で?)マイクロ○フトがさかんにテレビCMを流しているシリーズの1つだ。「林檎」好きの私がどうして「窓」のCMを紹介するのかは、見てもらえばわかるはず(わからない人はメールしてね)。
ちなみに以前紹介したアップルのCMをまず見ておくと、どうして「I'M A PC」と言っているのかよくわかるはず…
http://www.apple.com/getamac/ads/
しかし、返す返すもマイクロ○フトのCMを紹介するなんて…。
今は聖書ソフトなどの関係で仕方なくWindowsを使っているが、心はマックユーザー、Apple教の信者である(嗚呼、これは偶像礼拝か!?)。
しかし…このCMだけは紹介するしかあるまい…。今アメリカで(英語圏で?)マイクロ○フトがさかんにテレビCMを流しているシリーズの1つだ。「林檎」好きの私がどうして「窓」のCMを紹介するのかは、見てもらえばわかるはず(わからない人はメールしてね)。
ちなみに以前紹介したアップルのCMをまず見ておくと、どうして「I'M A PC」と言っているのかよくわかるはず…
http://www.apple.com/getamac/ads/
しかし、返す返すもマイクロ○フトのCMを紹介するなんて…。
ああ間違い・No.17/2008.10.27
私が以前勤めていた某キリスト教宣教師のための日本語学校で、宣教師の方たちが日本語学校や教会や日本人と話しているときに間違えて使ってしまった日本語を集めてみました。えっ? 宣教師に失礼ですって?でも、その宣教師の方たちに作るように勧められたんですけど・・・。ホームページ時代の人気コーナーがブログで復活です。
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『残尿ですか?』
宣教師の方が、遅くまで仕事をしている私に言ってくださった言葉です。
いつも健康に気遣ってくださってありがとうございます。
でも、残尿ではなくて、残業だから・・・。
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『残尿ですか?』
宣教師の方が、遅くまで仕事をしている私に言ってくださった言葉です。
いつも健康に気遣ってくださってありがとうございます。
でも、残尿ではなくて、残業だから・・・。
第19話 大工の清水さん/2008.10.22
「この間新しいバイクを買ってさー、関越自動車道で200km出してみたんだけど、さすがにびびったねー。」
なんとまあ、突拍子もないことをするか、と耳を疑いたくなるが、小柄な体で1000ccもあるようなバイクを乗り回す、私のとなりのベットの清水さんはそんな人だった。彼の仕事は大工。前に何度かこの話の中にも出てきたから、覚えている人もいるかも知れない。彼の気さくな性格もあって、よく大工仲間が、特に十代の若い大工青年たちがよくお見舞いに来ていた。
日曜になると、必ず奥さんが二人の女の子を連れてやってくる。大工さんだけあってなかなかにいなせで、楽しい清水さんによく似合った、明るく豪快なお母ちゃんといった感じの奥さんだった。清水さんが小柄でやせているのに対して、奥さんは本当に体格がいい。蚤の夫婦とは、このご夫婦のためにある言葉であろうと思われるほどである。
清水さんが入院してきたのは、夏の暑さもそろそろ消え始める秋ごろだった。仕事で屋根に登っていたら、くらくらしてきて立っていられなくなり、病院に行ったところ入院ということになったらしい。大工ならシンナーを扱ったりすることがあるから、初めはそのせいだと思っていたらしいが、検査を進めていくうちにそうではないらしいということがはっきりしてきた。
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ある夜のことだった。消灯時間になって、病室の電気が消され、それぞれがベットの中にもぐりこんだ。
10分、いや20分ぐらいたったときだろうか、隣のベットで寝ているはずの清水さんが突然私に話しかけてきた。
「なあ、多胡くん。今日昼間に母ちゃん(奥さんの意)が来ただろう。」
「はぁ、来ましたねぇ。」
二人とも自分のベットに寝たまま、暗闇の中で天井を見つめながらの会話である。もちろん互いの顔などは見ることはできない。
「今の母ちゃんさぁ、三人目の母ちゃんなんだよ。」
「・・・」
「最初の母ちゃんとは死に別れて、次の母ちゃんとは離婚して、今の母ちゃんは三人目なんだよ。」
暗闇の中で突然話しかけてきたと思ったら、一体何のことを、私の頭はどのようにそれを受け止めてよいかわからなかった。こういうときには、やぁそうでしたかとか、大変でしたねぇなどと、とりあえず言ってしまうのが私なのだが、このときは、突然、しかも考えたこともないことが来たので言葉を返すこともできなかった。
「なぁ、多胡くん。母ちゃんを選ぶときは顔で選んじゃいけないぜ。
俺の友達で絶世の美女と結婚した奴がいるけれど、家の仕事は何もできない、もうただの置物さ。
俺の母ちゃんは、見かけは良くないけれど、家のことをちゃんと任せておけるからな。」
美人の方の名誉のために一言付け加えさせてもらうが、美人の人すべてが清水さんの言う通りだと言っているわけではないので、あしからず。
でも、何で清水さんは突然そんなことを言ったのだろう。病院のベッドに寝ているうちに、過去のことを思い出して感傷にでもひたっていたのだろうか。それとも、ちょっと驚かせてやろう、とでも思ったのだろうか。しかし、私に話していながら、自分に言い聞かせているような話し方をしていたのはどうしてだろう・・・ 。
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清水さんの病気は、再生不良性貧血だった。難病に指定されている病気である。ある日を境にして、発熱が始まり、もう熱が下がることはなかった。かなり大変だったとみえて、あの威勢のいい清水さんがぽつんと一言「まいった」とつぶやいた。いつの間にか秋が終わり、師走を迎えた世間の人達は忙しく動き回っている頃だった。
その頃私は治療成績優秀ということで、年末年始の外泊を許された。久しぶりの我が家!胸が躍った。外泊するその日、清水さんの病室に顔を出すと、愛嬌ある笑顔で私を送り出してくれた。
-------------------------------------------------------------------------------------
久しぶりの我が家を十分満喫して帰ってきたときには、清水さんのベットは空になっていた。
他の患者さんの付き添いの人が、
「きのう急にだったんだよ。頭の血管が切れたみたいでねぇ。結構元気だったんだけど・・・。」
と話してくれた。
まさか・・・。
想像もしていないことだった。具合は確かに良くなかったけど、でもこんな急に・・・。マットレスだけになったそのベットを私はしばらく呆然と見つめていた。頭の中には、清水さんの愛嬌のある笑顔が浮かんでくる。あまりの呆気なさに、まるで現実感がない。
清水さんの笑顔が消えると今度は、あの豪快で、いかにもかかあ天下のお母ちゃんといった感じの清水さんの奥さんの顔が浮かんだ。でも私の脳裏に思い浮かんだのは、いつものあの笑顔の奥さんではなく、深い悲しみに包まれている顔だった。
『罪からくる報酬は死です』
聖書の御言葉は確かに真理だ。この世で罪のない者はいないし、だからすべての人が死ぬ、これは大原則だ。ということは、逆に言えば罪がなければ死ぬことはない、罪のない人が死ぬということがあったとしたら、それは原則に反した、例外的な、奇跡的な死だということになるだろう。
イエス・キリストは、ただ一人罪のない生涯を歩まれたお方だ。だから、聖書の原則に当てはめてみれば、このお方は死ぬことがない。死のうと思っても、罪がないから死ねない。ところがどうだったろう、キリストは二千年前、確かに十字架にかけられ、殺された。死ぬはずのない方が、確かに死なれたのだ。キリストの死は、はたして例外的な、奇跡的な死だったろうか。いや、私たちと同じように、苦しまれ、死んでいかれた。そこには、奇跡的な要素などなく、死に渡されていく姿を見ることができる。確かに主は、罪人の罪を負って、みずから罪ある者かのように死なれたのだ。私たちの罪を、ご自身の罪かのように背負われ、ご自身の罪として、死んでくださった姿を、あの十字架に見ることができる。
『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』(聖書)
なんとまあ、突拍子もないことをするか、と耳を疑いたくなるが、小柄な体で1000ccもあるようなバイクを乗り回す、私のとなりのベットの清水さんはそんな人だった。彼の仕事は大工。前に何度かこの話の中にも出てきたから、覚えている人もいるかも知れない。彼の気さくな性格もあって、よく大工仲間が、特に十代の若い大工青年たちがよくお見舞いに来ていた。
日曜になると、必ず奥さんが二人の女の子を連れてやってくる。大工さんだけあってなかなかにいなせで、楽しい清水さんによく似合った、明るく豪快なお母ちゃんといった感じの奥さんだった。清水さんが小柄でやせているのに対して、奥さんは本当に体格がいい。蚤の夫婦とは、このご夫婦のためにある言葉であろうと思われるほどである。
清水さんが入院してきたのは、夏の暑さもそろそろ消え始める秋ごろだった。仕事で屋根に登っていたら、くらくらしてきて立っていられなくなり、病院に行ったところ入院ということになったらしい。大工ならシンナーを扱ったりすることがあるから、初めはそのせいだと思っていたらしいが、検査を進めていくうちにそうではないらしいということがはっきりしてきた。
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ある夜のことだった。消灯時間になって、病室の電気が消され、それぞれがベットの中にもぐりこんだ。
10分、いや20分ぐらいたったときだろうか、隣のベットで寝ているはずの清水さんが突然私に話しかけてきた。
「なあ、多胡くん。今日昼間に母ちゃん(奥さんの意)が来ただろう。」
「はぁ、来ましたねぇ。」
二人とも自分のベットに寝たまま、暗闇の中で天井を見つめながらの会話である。もちろん互いの顔などは見ることはできない。
「今の母ちゃんさぁ、三人目の母ちゃんなんだよ。」
「・・・」
「最初の母ちゃんとは死に別れて、次の母ちゃんとは離婚して、今の母ちゃんは三人目なんだよ。」
暗闇の中で突然話しかけてきたと思ったら、一体何のことを、私の頭はどのようにそれを受け止めてよいかわからなかった。こういうときには、やぁそうでしたかとか、大変でしたねぇなどと、とりあえず言ってしまうのが私なのだが、このときは、突然、しかも考えたこともないことが来たので言葉を返すこともできなかった。
「なぁ、多胡くん。母ちゃんを選ぶときは顔で選んじゃいけないぜ。
俺の友達で絶世の美女と結婚した奴がいるけれど、家の仕事は何もできない、もうただの置物さ。
俺の母ちゃんは、見かけは良くないけれど、家のことをちゃんと任せておけるからな。」
美人の方の名誉のために一言付け加えさせてもらうが、美人の人すべてが清水さんの言う通りだと言っているわけではないので、あしからず。
でも、何で清水さんは突然そんなことを言ったのだろう。病院のベッドに寝ているうちに、過去のことを思い出して感傷にでもひたっていたのだろうか。それとも、ちょっと驚かせてやろう、とでも思ったのだろうか。しかし、私に話していながら、自分に言い聞かせているような話し方をしていたのはどうしてだろう・・・ 。
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清水さんの病気は、再生不良性貧血だった。難病に指定されている病気である。ある日を境にして、発熱が始まり、もう熱が下がることはなかった。かなり大変だったとみえて、あの威勢のいい清水さんがぽつんと一言「まいった」とつぶやいた。いつの間にか秋が終わり、師走を迎えた世間の人達は忙しく動き回っている頃だった。
その頃私は治療成績優秀ということで、年末年始の外泊を許された。久しぶりの我が家!胸が躍った。外泊するその日、清水さんの病室に顔を出すと、愛嬌ある笑顔で私を送り出してくれた。
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久しぶりの我が家を十分満喫して帰ってきたときには、清水さんのベットは空になっていた。
他の患者さんの付き添いの人が、
「きのう急にだったんだよ。頭の血管が切れたみたいでねぇ。結構元気だったんだけど・・・。」
と話してくれた。
まさか・・・。
想像もしていないことだった。具合は確かに良くなかったけど、でもこんな急に・・・。マットレスだけになったそのベットを私はしばらく呆然と見つめていた。頭の中には、清水さんの愛嬌のある笑顔が浮かんでくる。あまりの呆気なさに、まるで現実感がない。
清水さんの笑顔が消えると今度は、あの豪快で、いかにもかかあ天下のお母ちゃんといった感じの清水さんの奥さんの顔が浮かんだ。でも私の脳裏に思い浮かんだのは、いつものあの笑顔の奥さんではなく、深い悲しみに包まれている顔だった。
『罪からくる報酬は死です』
聖書の御言葉は確かに真理だ。この世で罪のない者はいないし、だからすべての人が死ぬ、これは大原則だ。ということは、逆に言えば罪がなければ死ぬことはない、罪のない人が死ぬということがあったとしたら、それは原則に反した、例外的な、奇跡的な死だということになるだろう。
イエス・キリストは、ただ一人罪のない生涯を歩まれたお方だ。だから、聖書の原則に当てはめてみれば、このお方は死ぬことがない。死のうと思っても、罪がないから死ねない。ところがどうだったろう、キリストは二千年前、確かに十字架にかけられ、殺された。死ぬはずのない方が、確かに死なれたのだ。キリストの死は、はたして例外的な、奇跡的な死だったろうか。いや、私たちと同じように、苦しまれ、死んでいかれた。そこには、奇跡的な要素などなく、死に渡されていく姿を見ることができる。確かに主は、罪人の罪を負って、みずから罪ある者かのように死なれたのだ。私たちの罪を、ご自身の罪かのように背負われ、ご自身の罪として、死んでくださった姿を、あの十字架に見ることができる。
『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』(聖書)
LOVE IS CASH/2008.10.15
学位商法というのがしばらく前から話題になっているが、最近その影響がキリスト教界にも及んでいるというのが話題になっている。アメリカの神学校と提携して学位を出すと謳っているが、実はそのアメリカの神学校が本国のアメリカではきちんと学位を出せる学校として認定されていないなどだ。特に福音派の牧師たちにそのような学位を持っている牧師が多いという。
自分の卒業した神学校も、現在学んでいる神学校も学位を取れるような神学校ではない。かくいう私も、一時期は学位に憧れた時期もあった。何より「はく」がつくし、信用もあがりそうだ。神学校の教師からは「牧師も長くやっていると、色々自分の中にストックがたまっていく。もしそのストックだけで話すようになったら、牧師を辞めなさい。」と言われた。つまり学ぶのを止めた時点で牧師としては失格だ、と。その意味でも牧師の継続教育のために、より高度な学び、例えば学位を取れるような場は必要だろう。
しかしどんなに立派な神学の学位を神の前にかざしてみたところで、「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」と言ったヨブのようになるのが関の山だ。聖書・神学の学位というものの存在についてよくよく考えてみると、やっぱりそれはあくまでも自分のため、学びの区切りであろう。もし自分が学位をとったとしても、とても公表できないと思う。神についての学位なんて畏れ多い…。
「学位を持っていないお前に言われたくない!」って?
はい!その通り!だから気にしないでください。学位も持っていない者のたわごとですから。はい、もっと勉強します!失礼しましたっ!
自分の卒業した神学校も、現在学んでいる神学校も学位を取れるような神学校ではない。かくいう私も、一時期は学位に憧れた時期もあった。何より「はく」がつくし、信用もあがりそうだ。神学校の教師からは「牧師も長くやっていると、色々自分の中にストックがたまっていく。もしそのストックだけで話すようになったら、牧師を辞めなさい。」と言われた。つまり学ぶのを止めた時点で牧師としては失格だ、と。その意味でも牧師の継続教育のために、より高度な学び、例えば学位を取れるような場は必要だろう。
しかしどんなに立派な神学の学位を神の前にかざしてみたところで、「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」と言ったヨブのようになるのが関の山だ。聖書・神学の学位というものの存在についてよくよく考えてみると、やっぱりそれはあくまでも自分のため、学びの区切りであろう。もし自分が学位をとったとしても、とても公表できないと思う。神についての学位なんて畏れ多い…。
「学位を持っていないお前に言われたくない!」って?
はい!その通り!だから気にしないでください。学位も持っていない者のたわごとですから。はい、もっと勉強します!失礼しましたっ!
ああ間違い・No.16/2008.9.23
私が以前勤めていた某キリスト教宣教師のための日本語学校で、宣教師の方たちが日本語学校や教会や日本人と話しているときに間違えて使ってしまった日本語を集めてみました。えっ? 宣教師に失礼ですって?でも、その宣教師の方たちに作るように勧められたんですけど・・・。ホームページ時代の人気コーナーがブログで復活です。
-------------------------------------------------------------------------
『触ってください!』
え、そんな大胆なことを・・・・。
あ、座ってくださいですか・・・。
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『触ってください!』
え、そんな大胆なことを・・・・。
あ、座ってくださいですか・・・。
桜島/2008.9.10
先日8月の忙しい時期を乗り切った(笑)ご褒美をかねて、教会スタッフ達で霧島の温泉に一泊してきました。ネットで情報を調べて、「温泉が充実し」「食事つきで」「かつ安い!」という無謀な条件で候補を絞り込んだだけあって、食事は大変なボリュームだったし、部屋も十分な広さ。肝心の温泉は?というと、いくつもの露天風呂あり、泥パックありとなかなかでした。
ただ当日は若い人200名の団体様が宿泊していたので、夜になってひとつの露天風呂に行ったら、湯船は酔っ払いで芋を洗う状態
しかたなくもうひとつの露天風呂に行ってみたら、これまた若い衆が大絶叫して大合唱しているではありませんか! しかもスピッツを! ”愛してる~の響きだけで♬”
こりゃ明日の朝入ろうと露天風呂をあきらめて、低温サウナへ。するとそこにも数名の若い衆が。話を聞いてみると某運送会社の社員の方達だそうで、毎年一回全国の30歳以下の社員が集まって親交を深めるらしい。私が話した人は30歳で、参加者の中では最年長。このイベントに参加するのは今年が最後。
その彼が一言「なんとか若いもんを育てないといけないんで」。
企業でも人を育てることに必死になってるんだなー、いやそれ以上にトップ以外のこうした若い社員達が率先して後輩達を育てていかねば、という姿勢に感じ入りました。これって教会は対岸の火ではないはず。若い人をいかに育てるか?そんな取り組みを教会ももっと力を入れねばいかんですな。
あ、そうそう、露天風呂で大合唱していた若手の社員のみなさん。私と話したあなたがたの先輩も「もっと硬派な歌を歌うと思ったんだけどなー、スピッツじゃあなー。長渕とかにいってほしかったよなー」と言ってました。
そりゃそうでしょう!! 鹿児島といえば長渕でしょう!!
”錦江湾に陽が沈み~♬”
ただ当日は若い人200名の団体様が宿泊していたので、夜になってひとつの露天風呂に行ったら、湯船は酔っ払いで芋を洗う状態
しかたなくもうひとつの露天風呂に行ってみたら、これまた若い衆が大絶叫して大合唱しているではありませんか! しかもスピッツを! ”愛してる~の響きだけで♬”
こりゃ明日の朝入ろうと露天風呂をあきらめて、低温サウナへ。するとそこにも数名の若い衆が。話を聞いてみると某運送会社の社員の方達だそうで、毎年一回全国の30歳以下の社員が集まって親交を深めるらしい。私が話した人は30歳で、参加者の中では最年長。このイベントに参加するのは今年が最後。
その彼が一言「なんとか若いもんを育てないといけないんで」。
企業でも人を育てることに必死になってるんだなー、いやそれ以上にトップ以外のこうした若い社員達が率先して後輩達を育てていかねば、という姿勢に感じ入りました。これって教会は対岸の火ではないはず。若い人をいかに育てるか?そんな取り組みを教会ももっと力を入れねばいかんですな。
あ、そうそう、露天風呂で大合唱していた若手の社員のみなさん。私と話したあなたがたの先輩も「もっと硬派な歌を歌うと思ったんだけどなー、スピッツじゃあなー。長渕とかにいってほしかったよなー」と言ってました。
そりゃそうでしょう!! 鹿児島といえば長渕でしょう!!
”錦江湾に陽が沈み~♬”
セラ/2008.8.10
私たちの教会のメンバーで構成されているセラという賛美のグループが今アメリカに行って、いくつかの教会で賛美をしたりしています。ブログでその様子を見ることができるので、ぜひどうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/selah_mrkm
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