2013年11月18日月曜日

社会経験/2010.6.25

牧師のようなフルタイムの働き人になるために社会経験は必要か?という話しはよく聞くところだ。
これには様々な意見があるだろう。

「社会経験がなければフルタイムの働きはできない」と言うのは言いすぎだろう。神の召しは一人一人違うのであって、社会経験は絶対条件ではない。神がその人を召されるときには、社会経験を経てからもあるだろうし、学生からすぐにという場合もあるだろう。問題は召しが確かなものであるかどうか(それは主観的なことだという意見もあるだろう)が重要なのであって、社会経験があるかどうかではない。それに社会経験を経た方たちはみんな働き人として成功し、素晴らしい成果を挙げているということでもないだろう。
しかし、一人一人に神の召しが違うのならば、「社会経験をしたほうがいい」という選択肢を全く退けてしまうことも極論であろう。確かに「この人の場合は社会経験をしたほうがいい」と思える人もいるわけだし。

以前にも同じような相談を受けたことがあるが、そんな学生たち(社会経験を経ずにフルタイムの働き人になる、なろうとしている人)には、「自分は社会経験がほとんどないので、わからない部分、例えば企業や団体の中で戦い悩んでいる方の気持ちがわかりにくい部分もあるかもしれない。」と考える謙遜さをもって欲しいと思う。神に召されたのだから、私は大丈夫と思ってほしくはないのだ。
むろん「自分は社会経験を経てから働き人になったので大丈夫だ」というのも、反対の意味で謙遜さが不足していることだが…。

社会経験を経ても、経なくても、働き人として自分には不足していることろ、わからないところ、経験不足のところが多々ある、教えられていかなければならない者である、そんな視点・姿勢を忘れないようにしてほしいのだ。もちろん自分も含めて。

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