2013年10月31日木曜日

第10話 お見舞いについて考えよう/2007.9.6

ポーカーフェイスを辞書で引くと、「ポーカーで手のうちを悟られないように、顔の表情を表わさないようにしたことからこう言われるようになった。感情の起伏を表わさない人。無表情な顔。」と書いてある。

 渡辺さん(仮名)は、まさにこのポーカーフェイスを持っていた人である。渡辺さんは某銀行本店の部長クラスの人で、社交上においてはまさに百戦錬磨、人に接するときの物腰の柔らかさは、まさに銀行マン。そして、人を誉めるときも、意見を述べるときも、常にポーカーフェイスを崩さない。うれしくても悲しくても、すぐ顔に出てしまい、周りの人に簡単にばれてしまう私などとは大違いである。

 渡辺さんの病気はネフローゼ。腎臓の病気である。健康な人の尿には、蛋白質がそのまま出てくることはないが、疲労が高じたり、体調が悪いときには出てくることがある。これをたんぱく尿といって、この際たるものがネフローゼである。私の病気のように、強い副作用を伴う薬などは用いないので、気分が悪くなるようなことはないから、入院していても手持ちぶさたにしていることが多い。

 さて、今回の本題である。私がまだ治療の副作用で苦しんでいたとき、クリスチャン仲間が一度にたくさんお見舞いに来てくださったことがあった。ちょうど夕食時で食事が配られた頃だったろうか、全員が病室に入ることは大変なので、2~3人の組になって、一組5分ぐらいで、入れかわり立ちかわりのお見舞いになった。せっかく来てくださったのだからいろいろと話したいが、いかんせん気分が悪い。どうにか作り笑顔を浮かべて、一組また一組とやり過ごす。
やっと全員のお見舞いが終わり、ベットに横になりふっーと大きな溜め息をついたその時、渡辺さんがつぶやくように
「クリスチャンて思いやりがないねぇ。」とひとこと。
 普段具合の悪い私を見ているから、無理をしていることがわかってそう言ったのだろうが、礼儀のかたまりのような人に、しかもポーカーフェイスで話された日には、こちらに返す言葉もない。

 だが、私はその時渡辺さんの意見を素直に聞けたのである。そんなことはないんです、みんな心配して来てくださったんですよ、と思う反面、その通りだなという思いも正直あったのである。来てくださった方々を責める気などまるでないし、その人たちだけに責任があるなどとも思っていないが、その通り思ったのだから仕方がない。

 お見舞いに寄って励ましたいという思いと、大変だろうから少しお見舞いはひかえようという判断は、とても難しいものだと思う。私の乏しい入院経験では、入院してすぐというのはうれしい反面、患者さんにとって負担の多い場合が多い。考えてみれば当たり前で、具合が悪いから入院したのであって、入院してすぐ具合がいいはずもない。それに入院が長引けばだんだんお見舞いも減っていくが、そういうときにしばしばお見舞いに来てくれる人ほどその人のことを思っていてくれている人が多いように見受けられる。もっとも仕事や学校の都合があったり、退院するまでに一度でも顔を見せておかなければまずい、というような社交場のこともあるだろうから一概には言えないが・・・。

 それに食事どきもいただけない。だいたいこちらが食べているのをじっと見られていたら気持ちのいいものではない。それに大部屋などの場合、みんな食べているのに自分たちだけが話をしていれば、周りの人も食べづらいだろうし、こちらの話しも全部つつぬけである。できることなら、なるべく食事時を避け、患者さんが休憩室や面会室に出ることができるならば、そちらに出て話をしたほうがいいように思われる。

 とにかくお見舞いに来る人たちのチェックは大変厳しく行なわれる。一日中ベットの上にいて、暇を持て余しているわけだから、お見舞いに来た人の人間観察などはいい暇つぶしである。態度の良い人、悪い人というのは必ずその人たちが帰った後で病室の話題にされる。われらクリスチャンにとっては、なかなかに厳しい場所であるが、よくよく考えてみればとても良い証の場なのだ。なぜなら黙っていてもこちらをじっと見てくれているわけだ。こんなに注意して観察されるなんて、そうめったにないことだ。そこで良い証をすれば、その人が帰った後の病室で
「あの人は親切な人だ。」
「しっかりした人だ。」などと評価され、
「あの人教会の人?」となるわけである。
もっともこんな調子でうまくいくことはほとんどないけれど・・・ 。
それに証は自分でしようと思ってできるものではないので、結局はその人の信仰の歩みにかかってくるわけで・・・。
うーんお見舞いもなかなかにむずかしい。

 さて渡辺さんであるが、その後順調に回復して退院していった。きっと今でも、そのポーカーフェイスを駆使してひょうひょうと銀行界を駆けめぐっているのだろう。そうそう、大事なことを書くのを忘れたが、お見舞いに来る人たちはもちろんだが、誰よりも一番見られるのは入院している本人自身、つまり私だということを。
渡辺さんとは一ヶ月半ぐらいベットを並べたわけだが、
「クリスチャンて思いやりがないねぇ。」
と言った彼の心が、私の入院生活を見て変わったかどうか・・・・残念ながら定かではない。
入院するものなかなかにむずかしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿