2013年10月31日木曜日

第11話 蒼い月影/2007.9.28

「トマト食べるかい?」
 一階の売店で買ってきたばかりのトマトを私のほうに差し出しているのは三十代半ばぐらいの松山さん(仮名)だ。松山さんは私が転院してきたときには、もう入院してから一年近く経っていて、そろそろ入院二年目に入ろうかというところだった。さすが病院暮らしが長いだけあって、転院してきたばかりの右も左もわからないで困っている私にいろいろ教えてくれた。
「小学校三年になる娘がいるんだけどさー。」
一人娘のことを話す彼の顔は、自然と笑みがこぼれ、優しい顔になる。
ところが、そんな彼が同室の患者からあまり良く思われていない存在であるというのに気が付くまで、それからあまり時間はかからなかった。

 彼がトマトやその他の食べものを買ってくるのは、とりもなおさず病院の食事をあまり食べないからなのだ。
この松山さん、食事の時は「こんなものまずくて食えねぇよ。」とぶつぶつ言いながら、好きなものだけ食べ、あとはほとんど残す。最初のうちは変わっている人だと思う程度だったが、こちらも治療が始まり食べられない食事を無理してでも食べようとしているのに、
「何でこんなまずいもん出すんだ!」
「おらぁ、これは食べられないんだって、あれほど言ったじゃねぇか!」
などとすぐ側で言われれば、食べる気も余計に失せるというもんである。あまりにうるさいので、同じ部屋に入院していた人が
「一生懸命食べようとしている奴もいるんだから、文句ばっかり言ってんじゃねぇ!」
と怒鳴り上げたぐらいである。いつもこんな調子では、嫌われるのも当たり前である。

 良く思われていないのは、何も同室の患者だけではない。彼は看護婦からもあまり良く思われてはいなかった。もちろん看護婦の人達は職業なのだから、あからさまに差別するとかそんなことはないけれど、そこは人間、いつも文句と愚痴ばかりでは、嫌になるのも仕方がないことだ。

 そしてもう一つのことに気が付いた。彼と共に数か月間同じ病室で過ごしたが、その間彼のもとにお見舞いはもとより、家族すらやってこない。ちらっと聞いた話しによると、どうも入院する前から、職場でも、家庭においても、不平不満ばかりだったらしい。一度だけ奥さんが病院に来たことがあるが、お見舞いなのか、愚痴の言い合いなのかわからないような、そんな状態だった。もちろん、彼の自慢の娘さんも一度も来なかった。もっとも病院に来るために電車を乗り継いで来なければならないような遠いところに住んでいるのだから、誰かに連れてきてもらわないかぎり、小学校三年生の女の子が一人でやってくるのは難しいだろう。それに電車賃だってもらわなければならないし・・・。

 彼の病気は、急性リンパ性白血病。数年前に発病し、一時寛解にまでいたったが再発、そして今の入院になった。それからの病状は一進一退で、私が大学病院に転院してきた時分には、だいぶ落ち着いた状態であった。しかし、確実に彼の体の中では病気が進行していたのだ。ある日を境にして、病魔はその牙を剥き出し始めた。坂道を転がり落ちりボールと同じで、あとは勢いがついてゆくばかり、病状はどんどん悪化していった。

 白血病は進行すると、とても激しい痛みが全身を襲う。松山さんもあまり痛がるので個室に移されたが「いてぇ、いてぇ」というなんとも言い様のない哀れで悲しい声は、個室に移されても、変わらずに病棟に響いていた。あまりの痛みに、彼は手首を切って自殺を計ったが、病院での自殺は多少無謀だったらしく、すぐに発見され、彼の病室には監視用のテレビモニターが設置された。ところが、こんな状態になっても、誰も彼の元に来ることはなかった、友人も、家族も。一番痛みを和らげるであろう娘さんも・・・・ 。

 そんな日が何日か続いたある日、それまででは考えられないことに、松山さんの家族、親族の人たちが大挙して病院にやってきた。それはよかったと喜びたいところだが、入院している者の家族・親族が集められるということは、どんなときかということぐらい、すぐに想像がつく。数時間、待合室にタバコの煙が漂い、病室と待合室の間を行き来している人影が絶えなかった。外はすっかり陽が落ち、夕闇があたりを包み始めている。七回の病棟から見える街の灯が輝きを増していく。病状は一進一退が続いているらしい。

 夕食を済ませた私は、何気なく夜景でも眺めようと、ぶらぶらと待合室のほうに出ていった。松山さんの親戚の人たちは病室のほうに行っているらしく、人影は見当たらなかった。ふと待合室の長椅子に目を落とすと、一人の少女が長椅子に眠っている。よほど疲れているらしく、私が来たことなどまるで気が付かない。どうしたのだろう、ぐっすり眠っている彼女の幼い頬に、涙の跡がくっきりとついている。
「あっ・・・・」
思わず声を上げそうになった。その子の体操着の胸元には「松山」と書かれた布が縫い付けてあった。その子はまだ小さい松山さんの一人娘だったのだ。その涙の理由は簡単に想像できた。大人たちの勝手な理由で、お見舞いにつれてきてもらうこともできず、やっと会えた父親はいままさに死のうとしている。大人だって耐えかねる状況だ。どんな父親であろうと、彼女にとっての父親は世界でただ一人なのだ。会いたかったんだろうな・・・・、お父さんのこと好きだったんだね・・・・。お父さんはきっとそのことを知っていたから、君のことをうれしそうに話したんだろうね・・・ 。
彼女が目を覚ましたら全部夢だったらどんなにいいだろう・・・。

 言いようのない怒りとやるせなさが込み上げてくる。そこに居続けるのが何ともつらくて、そっと病室に引き返した。それから間もなく、松山さんは亡くなった。

 その夜はとてもきれいな月夜だった。何だかすぐには眠れない気分で、もう寝静まった病室の自分のベットに座り、蒼い月と星を見ていた。人の心とは何と冷たいものだろう、あんなに小さい少女さえも平気で傷つける。彼女の涙に濡れた寝顔が浮かんでくる。

 その時、一つの考えが彼女の顔を吹き飛ばした。松山さんがグチを言い、不平不満をこぼしていたときの私の心は、松山さんの親族の人たちといったいどこが違っていたというのだろう?病院のことをいろいろ教えてくれたことも、トマトを差し出してくれたときのことも、すっかりどこかに消えてしまって、不平をこぼす彼をただただわずらわしいと思っていたのではないか。何のことはない、あの小さな女の子をあんなに悲しませたものが私のうちにある。誰のせいでもなかったのだ。私のうちにあるものが、彼女をあんなに悲しませたのだ。

 一つの御言葉が心に響いた。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。
 たとい、女たちが忘れても、この私はあなたを忘れない。
 見よ。私は手のひらにあなたを刻んだ。」  イザヤ49:16

 血のつながり、とりわけ親子の絆は切れないはずのものだ。
だが、たとえその絆が切れたとしても、決して忘れない。御言葉がずしんとくる。
十字架でイエスの手のひらに刻まれた釘の跡は、私を刻み込んだ傷跡なのだ。
月は相変わらず静かに夜空をめぐっていた。

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