2013年10月31日木曜日

第3話 転院/2007.4.11

突然の入院から数日後、大学病院のベットが空いたという連絡があり、週が明けてさっそく転院とあいなった。8月の暑さの中を、宣教師のS兄姉の黄土色のセドリックのバンに揺られて大学病院へ向かった。この時、家にはまだ車の運転ができるものがいなかったので、S兄姉にお願いしたのだ。

 私達の目的地は大学病院の中の西三混合病棟、通称「三内」。血液と腎臓の患者専門の病棟である。混合という表現が使われているのは、病棟の隅に隔離されるようにして、結核患者の病室が2部屋あるからだ。それは7階という最上階のゆえである。

 大学病院に到着して、入院手続きを済ませると、レントゲンと心電図を撮ってから病棟に来てくれと言われたので、同行してくれた人達は先に病室にいって荷物の整理をしていてくれることになった。私は右も左も分からない大学病院の中を、案内の表示だけを頼りに、レントゲンや心電図はどこだ?・・・とまるで初めて都会に行った田舎者のようにキョロキョロしながら歩いていた。現在はさる大学病院もずいぶんと奇麗になったが、その頃のその大学病院は、まだ古い建物で、薄暗く、なんともいえない圧迫感があった。そう、いかにも病院という雰囲気を十分にたたえていた。そしてそれは、それほど深い考えでない私でさえも落ち込ませてしまうのに必要十分であった。あーあ、大学病院に入院したなんていえば病歴にハクが付くわ、なんて思ったけれど、えらい事になったなぁ・・・・・。すっかり気が滅入ってしまったが、どうにか検査を終えて、エレベーターで7階へと向かった。これから半年近くも外界に出られなくなるとは・・・・。

 私の病室は1号室。6人部屋の入ってすぐ左側のべットだ。両親、宣教師のSご夫妻、そして前橋の教会のM姉妹が、ぐるっと私のベットの回りを取り囲んでいた。荷物はもうすっかり整理されていて、後は私がパジャマに着替えるだけであった。今思えばみんな複雑な気持ちで私を見ていたんだろうなぁ。

 着替えがすんでみんなと少し話をした後、「もう帰っていいよ」と両親に言った。別段誰かいなければ困るわけでもなく、他の人も忙しい中を来てくださっているのだ、早く引き上げてもらって間違いはない。

 ところが、いざみんなが帰ってしまって、1人きりになると、さっきの気の滅入りがよみがえってくる。よーく見るとこの病室もあまり日当たりが良くなくて、まだお昼なのに薄暗い。気分を落ち込ませていくには、まさに絶好のシチュエーションだ。 いかん、いかん、少し気をまぎらわそう。ちょっと病棟の中でも散歩してみるか、と病室を出ようとしたまさにその時、矢のような勢いで看護婦がとんできた。
「どこいくの!」
「あ、ちょっと散歩でも・・・」
「ダメ、ダメ、ほらベットに戻って!」

 こちとら、自覚症状などは何もない。いたってピンピンしているわけだから看護婦の言葉に納得がいかない。おとなしい(?)性格の私にはめずらしく、しばらく食い下がったが、最後にはお願いだからと懇願されるしまつ。若くて美人の看護婦さんにそこまで言われて、なおも食い下がるほどの強い意志を私が持ち合わせているわけもなく、そそくさと病室に戻った。どうなってるのか、いったい何なんだろう。まるで喫茶店でコーヒー一杯だけ頼んだのに、「3000円です。」と言われたみたいだ。本来ならばここで、何かおかしい、自分は重い病気なんじゃないか、と疑うのが正しいのだが、そんなことは少しも疑わず(自覚症状が無いのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだが)まあ検査も終わっていないし、しょうがないかと考えてしまうのが、私らしいと言えば私らしい。

1号室はナースステーションのすぐ横で、看護婦がすぐ飛んで来れる。つまり、それだけ病気の重い人が入る病室だなどという事は、もちろん知るよしもない私であった。

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