2013年10月31日木曜日

第2話 スタート/2007.4.4

わけがわからないまま入院になったが、そんなに重い病気だなどという事は初めから頭にないので、どれくらいで退院できるだろうかということが大問題だった。だが医者はちょっとわからないと言うばかり。
「精密検査をしてみないとはっきりわからないなー・・・。大学病院のベットが空きしだい移ってもらうから。」とのこと。大学病院!しかし、その時の純情な(?)私は、医者の言う事を素直に信じて、早く検査が終わらないかなーなどと思っていた。いやもしかしたら、本当に純情なのかもしれないな・・・。

 それでもいくらのほほーんとしている私といえども、いきなりの入院に不安にもなる。やはりそんなとき頼れるのは主のみである。どんなに自分を理解してくれる人がいたとしても、どうしても入ることの出来ない領域がある。御言葉に助けを求め、祈ることで平安を得たいと願った。『順境な時は感謝し、逆境のときは祈れ。』という言葉があるが、どちらかというとその時の私は『困ったときの神頼み』のレベルだったことはいうまでもない。そんなこと偉そうに書いてもしょうがないか・・・・。

 18の時の私はすでにバプテスマは受けていたし、高校生という見方をすればごくごく普通の高校生だったし、同年代のクリスチャン仲間の間でも特別異常ではなかったと思う(多分)。どうして自分は入院なんかになったんだろうと考えた。よく「どうして自分だけ病気になったんだろうと思わない?」と聞かれるが、他の人は病気にならなくて自分だけ、と思ったことはあまりない。どうして自分だけ、ではなく、どうして自分は病気になったのかが知りたかった。天地万物の造り主の前では、すべてに時があり偶然はないとしたらこの病気にも意味があるはずだ。自分の罪のため? これが一番しっくりくる。いかにも日本人的な発想であるが、とりあえず納得してしまうにはこれが一番だ。思いあたるふしもないわけではない。もっとも真の悔い改めはこんなものではないと思うが・・・。

 色々な考えが頭を巡った。だけどどうしても一つにまとまらない。そのくせお見舞いの人が来れば決してそんな素振りを見せないで明るく振舞う。我ながらそんな強がりをうらめしく思った。しかし、まだこの時点では不安はあってもそれほど深刻ではなかったのも事実。巷ではレストランなどで食事の後「ちょっと失礼」と言って、おもむろに薬を取り出して飲んだりする人をカッコイイ!と思う風潮があるので、自分もちょっと病気があってなどと言えば、ちょっとしたもんだな、などと不安の一方で思っていたりもしたのだから。

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