2013年10月31日木曜日

第9話 いのちの輝き/2007.9.4

 中山さんは(仮名)少しどもる。
年の頃は三十代後半から四十代前半、寝たきりで長くいたらしくて、歩く力がなく、立ち上がるのがやっとではあるが、普段はベットの上に上半身を起こして皆と話したりと元気だった。何でも数年前に大きな病気をして命も危なかったのだが、奇跡的に回復したそうだ。どもるようになったのは、その時の後遺症で、一時は話すことすらできなかったが、懸命のリハビリでどもりながらも会話できるようになったと話してくれた。ポッチャリとした中山さんの顔と、どもった話し方が妙に合っていてなんとも可愛かったりする。

 中山さんには、奥さんと高校生と中学生の二人の娘さんがいた。奥さんは2~3日に一度は病院に顔を見せて、回りから見ても仲の良い御夫婦だった。私は中山さんとは同じ病室だから当り前だが、奥さんとも何度か話したことがある。

あるとき
「主人がいつも多胡さんのことを偉い偉いって言っているんですよ。」と言われたことがある。
もちろん、私の信仰が素晴らしいからではなく、厳しい治療にどうにか耐えているのを見てそう言ってくれるのだろう。だがそう言われて悪い気はしない。
「いえいえ、そんな・・・。」
などと両の頬がしっかり緩んでいたりして、我ながら情けない。しかし私よりも中山さんのほうが(彼の言葉を借りれば)偉いはずだ。働き盛りで、しかも一番お金のかかる時期の娘さんが二人もいるのに、動かぬ体に、そしてゆっくりとしか効果の表われてこない治療にじっと耐えているのだ。中山さんも奥さんも決して人をうらやんだりせず、むしろこんな私のようなものさえも誉めてくださる、しっかりと地に足を付けて歩いていらっしゃる方達なのである。

 ある日、中山さんが急に熱を出し、それからの日々は熱が上がっても下がることはなかった。御主人の具合が悪くなった日から奥さんは毎日、それこそ朝早くから消灯過ぎまで熱心に付き添っていた。これでは奥さんのほうが倒れてしまうのでは、と思ったが、奥さんは明るさを失わず、本当に愛し合っている姿が、おだやかさがお二人の姿にはあった。

 一か月以上も高熱が続き、中山さんの具合はさらに悪くなり、個室に移されることになった。
個室に移される日の朝、奥さんが
「また良くなってこの部屋に戻ってきますから。」と微笑んだ。
その屈託のない笑顔が、とても強く心に残った。その次の日、中山さんは亡くなった。

 数日後、中山さんの奥さんが病棟にあいさつに来た。
「どうもお世話になりました。」
病棟の薄暗い廊下ですれちがった私に、中山さんの奥さんは深々と頭を下げた。その後ろ姿を見送って病室に戻った私に、隣のベットの人が私にこう耳打ちした。
「中山さんは数年前に病気になったときから、いつ亡くなってもおかしくなかったんだって。今までよくもったって奥さんがさっきそう言ってたよ。」
 正直言って驚いた。助かる見込みがないと分かっていながら看病していらっしゃる人は、それこそごまんといるだろう。病院では日常茶飯時のごくごく当たり前のことのはずだ。だが私も私の隣のベットの人も、その事実にひどく驚いたのである。一つには中山さんがなくなる数週間前までは、とても元気で回りのものが見てもゆっくりだが良くなっているという感じがあったことと、そしてもう一つは中山さんと奥さんとの関係が実に自然で、うるわしい夫婦の輝きを持っていたからである。

 それから数年たった定期入院のときにこんなことがあった。やはり御主人が入院し奥さんが付き添っていらっしゃる御夫婦がいた。御主人が検査で病室を空けたとき、
「主人はどんな病気かもはっきりわからないんです。」
と涙でかすれた声で話してくれた。その時、ふと中山さんの奥さんのことが頭に浮かんだ。あの輝いて見えた姿の裏にも多くの涙が流されたのだろう・・・・・。あれほど愛し合っていた二人も、輝いていた二人も死の暗闇の中では輝くことができなかったのだ・・・・。

まばゆいばかりの輝きを持ちながら、それをご自分から捨てた方がいる。
「彼にはわたしたちが見とれるような姿もなく、
 輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」イザヤ53章2節
神のひとり子でありながら、その姿を捨てることができないとは考えずに、その栄光に満ちた、輝きに満ちた御座を捨て私達と同じようになられた方。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」ヨハネ 1章4節
私達クリスチャンははそのいのちを受けるものになったのだ、死の暗闇の中でも輝くそのいのちを。
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」ヨハネ10章10節

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