2013年11月1日金曜日

第17話 神経内科/2008.4.3

「うわー!!」
 真夜中の病院に響くには、余りにも恐ろしい断末魔のような叫び声が病室のすみのベットからあがった。驚いたのは同じ病室で寝ていた私達である。みんなが、ばっとベットから飛び起きた。「どうしたー!」と私のとなりのベットの人が、声を発した土屋さん(仮名)に向かって声をかける 今まで夜の闇の中だった病室に、光々と電気の明かりがつく。付き添いの奥さん(もう60近いと思うが)は、わけがわからずおろおろするばかり。ぴりぴりした空気が、病室に漂う。すぐに看護婦が飛んできて、さらに緊迫感を強める。だが、とうの彼は何もなかったかのようにおとなしくなっている。なーんだ、ねぼけたんじゃないか、と早とちりしないでもらいたい。つまり、彼の病気はそういう病気なのだ。

 あるときには、いきなり彼がベットの上に立ち上がった。もちろん、はっきり意識があるわけではない。あ、危ない、とみんなが思った瞬間、まるで丸太が倒れるように体を真っ直ぐにしたまま、ベットの横にずどーん・・・ 。この時も床が揺れんばかりのすごい音。怪我がなかったからよかったようなものの、同じ病室にいる者達は、彼のこの騒ぎにずいぶん悩まされたものだった。

 血液と腎臓の専門の病棟にどうしてそんな人が入院しているかって?ところが、面白いことに、西病棟の最上階である七階の、私がいた五号室に、二床だけ神経内科のベットがあったのである。広い大学病院の中で、たった二つしかベットのない、それが神経内科なのである。では、どんな人がそこに入院するかというと、原因のよくわからない病気の人、まだ難病指定さえされていないような病気の人、なのである(多分)。しかし、入院患者の目からみれば、研究用に設けられたベットにすぎない、という印象がぬぐえない。この神経内科に入院した人は、されるだけの検査をされたら、それで退院。決して治療してはもらえないのだ。もちろん、入院してくる人達はそんなことは少しも知らない。

 ある中華料理屋を経営していたまだ30代前半の人は、筋肉が萎縮していき、最後には動かなくなってしまうという病気だったが、一通りの検査をされたら治療も受けずに退院していった。このまま動けなくなっていくのを待つのは辛い、と言いながら・・・。

 また、手の皮膚に異常な染みができてしまうおじいさんは、やはり一通りの検査をされたら、病気についてなんの説明もなく、あとは自宅近くの病院でと言われて、「近くの病院じゃ治らなかったから、大学病院に来たんじゃねぇか!こんな馬鹿な話があるか!すこしぐらいどんな病気か説明してもよさそうなもんだ!。」と今にも訴えてやる、という様な剣幕で退院していった。

 こんな調子だから、神経内科に入院する患者は入院、退院のサイクルが極端に短い。どんどん患者が入れ変わっていく。私のように入院が長くなってくると、ああまたかと取り立てて驚かないが、どうにか病気を治そうと思って来られた人達にとってはたまったもんじゃないだろう。もちろん、病院の方にだってそれなりの理由はあるんだろう。もっとベットがあれば気の済むまで治療してやるさ、とか、病気を調べるためには仕方がない、などとDr.達も心では思ってるのだろう。それに、今は有効な治療がない病気だったら、どんな名医でも治すことはできないのだし・・・。

 さて、土屋さんであるが、彼の病気はどんどん進行していき、今はほとんど意識、いや、彼の場合は体はよく動くし、力もあるのだから、普通の意識がないのと少し違うが、とにかく付き添っている奥さんとも意思の疎通が出来なくなってしまった。そんなある日、一人の助教授らしき人が土屋さんの奥さんのところにやってきた。
「今度、学生達の前に御主人と一緒に出てくれませんか。その時に、御主人の様子がどんなふうに変わってきたか、説明してもらいたいんですが。」

いかにも純朴で田舎のお婆ちゃんという感じの奥さんが、依頼というよりもそうしなければならないといった口調で言われたら、断われるはずもない。多くの学生達の前で、ベットの上で寝たままの御主人を前にして、話さなければならない奥さんの気持ちは、どんなものだったのだろう。

 多分土屋さんの病気は、とても珍しい、まだ誰も有効な治療法を確立していない病気だったのだろう。だから、病院側としても色々な検査や治療をして、そして学生達にも勉強のために見させてあげたかったのだろう。あまり治療のされることのない神経内科で、まがりなりにも治療してもらえるのだから、それはそれでいいじゃないかといわれれば、それはそうかもしれない・・・ 。でも、何か欠けてるんじゃないだろうか・・・。

 主はその生涯の中で、多くの人を癒されたが、ただ病気を治されただけではなかった。現代の医学がともすると忘れがちなものを、主のお姿を見るときに思い起こさせられる。

『イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。
 「わたしの心だ。きよくなれ。」』 (マルコの福音書1:41)

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