2013年11月2日土曜日

LOVE IS CASH/2008.10.15

 学位商法というのがしばらく前から話題になっているが、最近その影響がキリスト教界にも及んでいるというのが話題になっている。アメリカの神学校と提携して学位を出すと謳っているが、実はそのアメリカの神学校が本国のアメリカではきちんと学位を出せる学校として認定されていないなどだ。特に福音派の牧師たちにそのような学位を持っている牧師が多いという。

 自分の卒業した神学校も、現在学んでいる神学校も学位を取れるような神学校ではない。かくいう私も、一時期は学位に憧れた時期もあった。何より「はく」がつくし、信用もあがりそうだ。神学校の教師からは「牧師も長くやっていると、色々自分の中にストックがたまっていく。もしそのストックだけで話すようになったら、牧師を辞めなさい。」と言われた。つまり学ぶのを止めた時点で牧師としては失格だ、と。その意味でも牧師の継続教育のために、より高度な学び、例えば学位を取れるような場は必要だろう。

 しかしどんなに立派な神学の学位を神の前にかざしてみたところで、「知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。」と言ったヨブのようになるのが関の山だ。聖書・神学の学位というものの存在についてよくよく考えてみると、やっぱりそれはあくまでも自分のため、学びの区切りであろう。もし自分が学位をとったとしても、とても公表できないと思う。神についての学位なんて畏れ多い…。

「学位を持っていないお前に言われたくない!」って?
はい!その通り!だから気にしないでください。学位も持っていない者のたわごとですから。はい、もっと勉強します!失礼しましたっ!

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