2013年10月31日木曜日

奇跡/2005.10.24

聖書には奇跡と言えるような記録がいっぱいある。モーセが紅海を分けたり、エリヤが天から火を下したり、きわめつけはイエス・キリストが三日目に復活したという記録だ。ある人たちにとって聖書の中のそのような奇跡は聖書が信頼に足る本ではないという評価につながったり、神話の世界だと考える人もいる。

 実は私にとって聖書の中の奇跡の記録はたいして大きな問題ではない。それよりもこの世界が偶然の進化によって生まれたのではなく、知性によってデザインされたもの、創造主が存在するという聖書の主張の方が大問題だ。もしそんな存在がいるとしたら、時間も空間もすべての物理的法則もその創造主のデザインなのだから、ちょっと法則を変えて奇跡と言えるような出来事を起こしたとしても別になんら不思議はない。そんな創造主がいなければ、奇跡の記録も神話として、象徴として考えればいいことだ。

 この夏私のアパートに奇跡が起こった。8月の半ば過ぎから「ひょっとしたら…」と考えるようになったが、果たしてそれは現実となったのだ。去年までのアパートのことを考えたら、そんなことが実際に起こるなんて全く信じられなかった。今まで7月、8月は最悪だったのに。「奇跡だ…こんなことが起こるなんて…」そっとつぶやいた。

 この夏私のアパートに一匹もゴキブリが確認されなかったのだ。いやゴキブリだけではない。南国に潜む狂気、タランチェラのような蜘蛛も一匹も現れなかったのだ。去年までの悪夢のような戦いから解放された私は今、この幸せをかみしめている。この幸せがシャボン玉ように儚く消えてしまうのではないかという不安を抱えながら。

 え?そんなの奇跡ではないって?
だから私にとって奇跡は大きな問題じゃないんだって。ん?ちょっと違うか…。

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