2013年10月31日木曜日

マニュアルとハウツー/2005.11.24

こんな話を聞いたことがある。細かいところは正確ではないので気にしないように。ある人が職場の人たちの昼食をまとめて買いに行くことになった。そして某ハンバーガーのファーストフード店に行った。そして「ハンバーガー15個」と注文したところ、「こちらでお召し上がりですか?それともお持ち帰りですか?」と聞かれたという。その方は「俺が一人で15個もここで食べるわけがないだろう!」と怒ったという。マニュアルに書かれたとおりのことしかできないという、マニュアル信仰の弊害の良い例として挙げられていた。

しかしこれは私たちクリスチャンにとって対岸の火事ではない。世には実に多くのクリスチャンセミナー、講習会、研修会がある。内容は教会学校で教えるためであったり、カウンセリングであったりと様々である。
実はいつのまにか私たちはこの世と同じように、何か奉仕や働きをするのにハウトゥーやマニュアルを求めてしまっているのではないか?やり方を求めてしまっていないだろうか。教えられなければその奉仕はできないと思い込んでしまっていないだろうか。

最近読んだ本にアメリカのある牧師のこんな言葉があった。
「神様の働きに関する限りに、ハウトゥーというのは冒涜である。ハウトゥーがなぜ神への冒涜かというと、神のわざを人間がこうやればできるということになれば、それこそ神の御名を傷つけることだからである。」

セミナーや研修会が無用なものだと言うつもりはさらさらない。その重要性も十分承知している。しかしそんな教育を受けなければ奉仕ができないと言ってはいけないと思う。誰が主権者なのか、私たちは何を頼るかではなく、誰を頼るべきなのかを決して忘れてはいけない。

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