2013年10月31日木曜日

「血液型、がた、血が騒ぐ~」っていう歌、昔あったよね/2005.11.29

最近、いや結構前から言われるたびに嫌な言葉がある。それは「○○さん、AB型でしょう?」とか「血液型は何型?」というやつだ。特に最近は某テレビ番組の影響もあるのか、それが科学的にも正しい、絶対だというような風潮さえある。人間そう簡単に4つのタイプに分けられてたまるか!じゃあ何で「えー○○さん、AB型だと思ったのにー!」という表現も同じぐらい聞くんだ!絶対じゃないって証拠じゃないか!簡単にわかったようなことを言うな!はーすっきりした。

 思うに、他人のことに対して深く関わりたくない、面倒くさいことは嫌だから簡単に相手を理解したいという、人間関係の希薄さがそこに現れているのではないだろうか。人間そんなに単純じゃないと思うのだが。

 さらに私を不快にさせるのは、それが科学的な実験などに基づいているということを振りかざし始めたことだ。それがクリスチャンの間でも深く考えられずにまかり通っていることに不安を感じる。大体世間一般の科学は神を否定しているんじゃないの?つい最近だってテレビで堂々とダーウィンの進化論を賛美する番組やってたじゃないか。血液型による性格の違いが進化の過程で科学的に説明されるようになったら、どうするの?

 歴史を見るときに多くの神学者達が当時最先端の科学と聖書を結びつけて失敗してきた。新しい科学的な発見があったらそれらの聖書解釈や神学も古くなってしまうのだ。「神と科学を比べることはできない。なぜなら、科学は絶えず変わっていくものだが、神は変わることがないからだ。」と言ったのはノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士だったろうか。

 誤解してほしくないのだが、それらの科学的な取り組みに意味が無いなどというつもりは全くないし、クリスチャンだからこそ科学の価値も十分に認められると思う。ただ、多くの情報が氾濫する中で、漫然と受けるのではなく、しっかり考える者になりたいと思わされるのだ。

 あ、そこのあなた。こういうことを書く奴の血液型は絶対○型だな、とか思ったでしょ?25パーセントの確立で当たりです。

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