2013年10月31日木曜日

バスルームから愛をこめて/2006.11.24

 今妻は妊娠8ヶ月になる。もう性別もわかって男の子だそうだ。超音波写真などでは手足や顔立ちさえもはっきりとわかるようになってきた。まだ生まれてはいないけれど、立派ないのちだ。

 赤ちゃんを迎えるにあたってこれから練習しなければならないことの一つに沐浴がある。実は私はお風呂でボーっといろいろ考えるのが好きで、沐浴をさせている時にもボーっと考え事をして赤ちゃんをおぼれさせてしまう危険が多分にある。

 実はお風呂に入って色々考えるという人は少なくないようで、そんな時にいいアイデアが浮かぶということもよくあるようだ。あるシンガーソングライターの人はお風呂に入っているときにこれは!と思うメロディーが浮かび、濡れた体のまま飛び出して頭に浮かんだメロディーをテープに残した。そしてそれが大ヒット曲となったという。
 かくいう私もオリーブに提供した詩の中にもお風呂でそのアイデアが浮かんだものもある。なんかお風呂ではリラックスするのだろうか。

 そしてこの間、湯船に浸かってリラックスしている私の脳裏にある考えが浮かんだ。

[イエス・キリストは私と妻の間に与えられた、まだ生まれていないこの小さないのちのために十字架で死んでくださった。この子は生まれる前からこんなにも愛されているのだ。]

お腹の中の子供を見つめるイエス様の優しいまなざしが感じられるようだった。そして私は畏敬の念に包まれたのだ。

『あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。』(聖書・詩篇139:12〜16)

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