2013年10月31日木曜日

他人に迷惑をかけない/2006.8.12

「他人に迷惑をかけないように、それだけは言い聞かせてきました。」
子育てについて聞かれた親がよく言う言葉だ。しかしどれぐらいの人がこの言葉、この言葉に基づいた教育や躾がもたらす結果を考えてきたのだろうか?Web上を検索してみると、意外とこの言葉に疑問を感じている方も多いようだ。

 クリスチャンとしてこの言葉に対峙するなら、まずそこにあるのは神不在の世界だ。他人に迷惑をかけなければいいのだ、神に迷惑をかけることは考えなくていい=見つからなければ、ばれなければ、何をやってもいい、ということだ。もう少し強調して言うなら、他人にばれないようにうまくやっていきなさいと勧めているようなものだ。この考えの世界では、ばれずにうまくやっていっている人が勝ち組で、見つかってしまった人は負け組だ。最近犯罪を犯した人の悪びれない態度が問題にされるが、それはこの「他人に迷惑をかけない」で育ってきたことを考えたらびっくりすることではない。犯罪を犯した多くの人にとっては、自分が悪いことをしたのではなく、下手を打った、もっと上手く立ち回れば良かったに過ぎない。「いやー次はばれないようにがんばります」ぐらいの気持ちにもなろう。なぜならばれずに上手くやっている人が他にもたくさんいるし、何よりばれなければ『他人に迷惑をかけていない』ことになるのだから。

 さらにこれは親の意識の問題を露呈させる。「他人に迷惑をかけるな」ということは「あなたが他人に迷惑をかければ、親の私が面倒なことになる」と言っているのと同じだからだ。これは『親は私の全存在を受け入れてくれている』という信頼感を損ない、『親は迷惑をかけない自分なら受け入れてくれる』というメッセージを子供に植え付けることになりかねない。そこには萎縮してしまう者、親の愛を確かめようとして他人に迷惑をかける者、自分は親に愛されているのだろうかと疑問を持つ者も出てくるだろう。

『主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。』(聖書)今こそこの言葉に真摯に耳を傾けるべきだ。人という横の関係だけでなく、神との縦の関係があってはじめてバランスがとれるということに。

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